この地球上に存在する捕食者と被食者が、
それぞれ生き残っていくために、様々な工夫をしていることは、
数枚の写真を見るだけで、何となく想像できる。
いや、たった1枚だけの写真でも、
生き物たちが、食べるものと、食べられるものに、
分かれてしまう宿命のようなものを感じるし、
その関係の中で、一体どんなことが起こっているのかを、
さりげなく考えさせてくれるのだ。
虫たちは、これまで連続で紹介してきたように、
捕食者に対する様々な防御手段を進化させてきた。
しかし、そのどれをとってみても、個体が行なう防御行動は、
絶対的な効果のあるものではなかった。
これは、捕食者の側からみても、全く当然のことであり、
彼らも生きるために、あるいは子孫を残していくために、
他の生物を、食物源(餌)としなければならない。
だから、被食者の行う様々な防御行動に打ち勝つために、
捕食者も、それそれの対抗手段を、進化させてきたのだ。
私が、個人的に非常に興味を持っているのは、
自分の姿かたちを、他のものに似せることによって、
外敵を騙して身を守る「擬態」という戦略である。
小さな虫たちが、何か別のものに似せるというやり方は、
「捕食者に食べられないようにするための手段」としては、
手っ取り早く行える最も簡単な方法なのかもしれない。
でも、この方法にも、その完成度(?)は、
ピンからキリまであり、程度の差があるにもかかわらず、
みんな生き残っているのだ。
その中で、最も興味深いのが、ミラクル擬態である。
捕食者側の視覚による識別能力が、よりシビアになればなるほど、
やり過ぎとも思えるミラクル擬態出現の可能性が出てくる。
ハイイロセダカモクメやアケビコノハの擬態を見ると、
そのような虫たちには、中途半端な妥協を許さない、
視覚に優れた捕食者の存在が、見え隠れするのだ。
では、何故、みんながミラクル擬態にならなくても、
生き残ることができたのだろうか?
一見、中途半端に見える擬態者は、これからも、
本当にそのままで良いのだろうか?
今回は、虫たちの防御戦略⑮として、蛇足ではあるが、
そんなことを考えてみたいと思う。
目立たなくする隠蔽的擬態【Mimesis】の場合には、
あまり葉っぱや枯れ枝に似てなくても、
基本的には、目立たなくする方に向かっているので、
中途半端(未完成?)なものでも、
捕食の機会を、少しは減らすことができるのだろう。
この場合には、何となく理解できるような気がする。
枯れ葉に見せかけた蛾を例に、その擬態の完成度を比較してみよう。
クロズウスキエダシャク(シャクガ科)
2010年9月8日 白岩森林公園・青森
色彩と模様が、やや枯れ葉を思わせる程度で、
輪郭は、葉っぱというより、蛾である。
オビカギガ(カギバガ科)
2012年6月26日 道の駅万葉の里・群馬
もう少し枯れ葉の色彩に近づき、しかも、
翅の両端がとんがって、葉っぱの葉柄を思わせる。
クロホシフタオ(ツバメガ科)
2010年9月8日 白岩森林公園・青森
翅に深い切れ込みが入って、より枯れ葉に似てくる。
マエグロツヅリガ(メイガ科)
2012年7月21日 白岩森林公園・青森
さらに、翅が内側に巻き込み、頭部が葉柄にみえる。
ここまでくると、どう見ても枯れ葉である。
ミラクル擬態と呼んでよいレベルであると思う。
アカエグリバ(ヤガ科)
2007年10月5日 徳島市・徳島
これは、どうみても枯れ葉である。
多分、本物の落ち葉の中にいれば、
誰も見つけ出すことはできないだろう。
このように、枯れ葉に擬態する虫たちにも
様々な程度のものが混在している。
そして、あまり完成度が高くない場合でも、
全く問題なく生き残っているのだろう。
しかし、目立たせる標識的擬態【Mimicry】の場合には、
あまりモデルに似ていないと、中途半端に目立つようになって、
捕食者に発見されやすくなり、その目立つだけの姿かたちは、
むしろ逆効果になってしまう可能性がある。
今度は、ハチに似せた蛾を例に、その擬態の完成度を比較してみよう。
トンボエダシャク(シャクガ科)
2010年8月1日 だんぶり池・青森
ごく初期の段階のハチ擬態である。
まあ、このようなハチもいることはいるが・・・
コスカシバ(スカシバガ科)
2010年7月27日 だんぶり池・青森
翅が透明になり、胴体の感じも、ハチに近づいた。
ホシホウジャク(スズメガ科)
2010年11月10日 新木場公園・東京
飛んでいる格好は、ハチであるが、
静止状態では、蛾である。
クロスキバホウジャク(スズメガ科)
2011年7月3日 白岩森林公園・青森
こちらは、止まっていてもハチを思わせる。
より、ハチの姿に似てきている。
セスジスカシバ(スカシバガ科)
2011年9月8日 白岩森林公園・青森
これで、ハチ擬態の完成だ。
初めて見た人は、これが蛾であるとは思わないだろう。
何故、このような良く目立つ標識的擬態者の場合にも、
ほぼ完全なハチ擬態者がいる一方で、
不完全に目立つ擬態者が、生き残っているのだろうか?
考えられる一つの理由は、捕食者にとってみれば、
人間が毒キノコを、見分けるのと同じように(?)、
それを食べるか食べないかは、命がけの選択なので、
ちょっとでも怪しいと思えば、手を出さないのかもしれない。
多分、Ⅲ(2).で少し考えたように、カトカラ類が飛び立つ直前に、
突然見せる後翅の模様が、赤系統の目立つ色以外にも、
青や白、黒色まで、様々なタイプがあり、みんなそれぞれが、
立派に生き残っていることと関係するのかもしれないのだが・・・・
もう一つの理由として、最もありがちな回答であるが、
擬態者の数と、モデルの数のバランスなのかもしれない。
モデル種の数の方が圧倒的に多い場合には、
過去のモデル種での嫌な経験を覚えていて、
擬態者があまり似ていなくても(不完全でも?)、
捕食者は擬態者を避ける傾向が強まるだろう。
だから、一般的なハチの仲間に似せているエダシャクやホウジャク類は、
モデル種の数の方が、擬態者の数より(多分)かなり多いので、
あまり似ていなくても良かったのかもしれない。
一方で、特定のハチの種がモデルになっているセスジスカシバの場合には、
どうしても、数のバランスが微妙である。
セスジスカシバ(擬態者)とキイロスズメバチ(モデル)を比較した場合、
実際に野外で見かける個体数は、どちらが多いのだろうか?
そんなことはありえないだろうが、
もし、モデルの数より擬態者の数の方が多ければ、
捕食者は、危険なモデルよりも、無害な擬態者に遭遇する頻度が高くなって、
擬態者の発する信号は、あまり意味がなくなり、
逆に捕食されやすくなる可能性さえあるのだ。
⇒隠蔽的擬態のように、枯れ葉がモデルの場合には、
どう考えたって、枯れ葉の方が多いに決まっている。
だから、枯れ葉にあまり似てなくても、大丈夫なのかもしれない。
全ての擬態者が、ミラクル擬態を目指す必要がない、
3番目に考えられる理由がある。
姿かたちが有毒あるいは危険なモデルによく似ること以外にも、
擬態者の行動(動き方)が、重要な意味を持っているのだ。
例えば、ハチに擬態するトラカミキリ成虫は、
細かく触角を振りながら、ハチのような歩き方をするし、
有毒のベニモンアゲハに擬態するシロオビアゲハのメスは、
モデルと同じようにふわふわと飛ぶ。
この動き方まで似せることは、特に遠くから獲物を見つける捕食者には、
有効な手段であり、姿かたちの類似性が不十分であることを、
かなりカバーすることができるのだ。
逆に言うと、モデルが動く場合には、当然その行動まで似せなければ、
形状がどれだけ似ていても、その効果が薄くなってしまうことも意味している。
もちろん、この3つの理由以外に、重要なことががあるのかもしれない。
もっと言えば、完成度の違う擬態者がいることは、別に何の意味もなし、
不思議でもなんでもないのかもしれない・・・・・
最後に、ちょっとだけ遠目に撮った3枚の写真を、ご覧ください。
このような写真は、普段あまり目にすることはないと思うが、
実際に獲物を探す野鳥類が見ると思われる景色(?)を想定したものである。
⇒いつもより大きい画像です。
写真をクリックして、ミラクル擬態を実感してください。
マエグロツヅリガ(メイガ科)
2012年7月21日 白岩森林公園・青森
ちょっとした風でも、今にも落ちてしまいそうな枯れ葉。
(蛾に見えるが、やっぱり枯れ葉だろうな・・・)
セスジスカシバ(スカシバガ科)
2011年9月8日 白岩森林公園・青森
遠くに、怖い怖いスズメバチ。
(危ないから近づくのはよそう・・)
ヒトツメカギバ(カギバガ科)
2012年9月13日 芝谷地湿原・秋田
落下してきた直後の鳥の糞。
(あんなもの食べ物ものではないよ・・・)